アフリカの宗教分布が南北で分かれている理由

アフリカの宗教地図をパッと見てみると、あることに気づきませんか? 北はイスラム教、南はキリスト教――まるで大陸を横に分断したかのように、宗教の分布がくっきり南北で分かれているんです。

 

なぜアフリカでは、こんなにきれいに宗教が分かれているのでしょうか?

 

実はそこには地理、歴史、交易、植民地支配など、いろんな要因が関係しているんです。ここでは、アフリカの宗教分布が南北に分かれた理由を、わかりやすく解説します!

 

 

イスラム教は“北から砂漠を越えて”やってきた

サハラ砂漠を進むキャラバンの様子

サハラ砂漠を進むキャラバンの様子。ラクダに乗った人々が連なって、乾いた大地を移動している。

出典: Photo by Chet Smolski / CC BY-SA 3.0より

 

まず、アフリカ北部にイスラム教が広がったのは7世紀ごろアラビア半島でイスラム教が誕生してから間もないころのこと。

 

当時、アラブ人の商人・軍人・学者たちがエジプトを経由してマグリブ(北アフリカ)地域にイスラム文化を伝えました。

 

そこから、サハラ砂漠を越える隊商(キャラバン)交易によって、西アフリカの内陸部(マリ、ニジェール、チャドなど)にもじわじわと浸透していったんです。つまり、砂漠の北側→イスラム、南側→徐々に混在という流れですね。

 

この流れの中で、学問、文字(アラビア語)、建築、法律などもイスラムとともに伝わっていき、多くの王国(たとえばマリ帝国やカネム帝国)ではイスラムが国教化されていきました。

 

キリスト教は“南から海を渡って”広がった

19世紀のアフリカで活動するキリスト教宣教師

19世紀にアフリカで活動していたキリスト教宣教師、Rev James R Newbyの肖像。

出典:Rev James R Newby / Public Domainより

 

一方で、アフリカ南部や東部にキリスト教が広がったのは、ヨーロッパ列強の進出と植民地支配が大きく関係しています。

 

15世紀以降、ポルトガル、イギリス、フランス、ドイツなどがアフリカの海岸沿いに拠点を築き、宣教師とともにキリスト教を持ち込んだのが始まり。

 

  • 南アフリカ→オランダ、イギリスの影響でプロテスタント中心
  • アンゴラ、モザンビーク→ポルトガルの影響でカトリック系
  • ケニア、ウガンダ→イギリス系のプロテスタントとカトリックが混在

 

また、ヨーロッパの列強は「文明化」や「教育」を名目に、キリスト教を学校や病院とセットで広めました。

 

結果として、サブサハラ(サハラ以南)アフリカでは多くの人々がキリスト教を受け入れ、現地の文化とミックスさせながら定着していったのです。

 

 

サハラ砂漠が“天然の境界線”になった

 

この南北の違いを決定づけたのが、実はサハラ砂漠なんです。アフリカ大陸の真ん中に広がるサハラ砂漠は、地理的にも文化的にも“壁”のような存在

 

キャラバンによって越えられたとはいえ、人や文化の行き来がかんたんではなかったため、自然と「サハラの北=イスラム世界」「南=別の文化圏」という社会的な境界線が生まれたんですね。

 

この地理的な区切りが、今も宗教分布にそのまま反映されているんです。

 

現代のアフリカは“ミックス型信仰”が多い

とはいえ、最近のアフリカは「イスラム vs キリスト教」みたいな二項対立では語れなくなってきています。

 

実際には――

 

  • 一つの国でイスラムとキリスト教が混在(例:ナイジェリア、タンザニア)
  • どちらの宗教でも伝統宗教や精霊信仰と融合している
  • 地域や家族単位で複数の信仰が共存している

 

たとえばナイジェリアでは、北がイスラム圏、南がキリスト教圏ですが、都市部では両者が共存していたり、村によってはキリスト教の洗礼を受けつつ、先祖の儀式も行うなんていう形もあります。

 

つまり、アフリカの宗教分布は地理と歴史の結果で“分かれて”はいるけれど、実際には“混ざり合って”生きているんです。

 

アフリカの宗教分布が南北で分かれているのは、地理・交易・征服・宣教といった歴史が折り重なってきた結果。でもその中で、アフリカの人々は“自分たちなりの信じ方”を選び、イスラムもキリスト教も、そして伝統信仰も、上手に共存させながら暮らしているんです。