
エリトリアの国旗
赤は独立闘争の犠牲、緑は農業、青は海、月桂樹の紋章は平和と国家の誇りを象徴している
エリトリアの場所
東アフリカの紅海沿岸に位置し、北はスーダン、西はエチオピア、南東はジブチと接する
正式名称 | エリトリア国 |
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首都 | アスマラ |
面積 | 約11.8万平方キロメートル |
人口 | 約360万人(2024年推定) |
公用語 | ティグリニャ語、アラビア語、英語(実務言語) |
通貨 | ナクファ(ERN) |
地理 | 紅海沿岸に位置する東アフリカの国。多様な地形(高地、平野、海岸)がある。 |
歴史 | イタリア、イギリスの植民地支配を経て、1993年にエチオピアから独立。その後、エチオピアとの国境紛争が続いた。 |
経済 | 農業中心で発展途上。海外在住エリトリア人からの送金が重要。 |
文化 | 多民族国家で、キリスト教・イスラム教が混在。コロニアル建築が残るアスマラは世界遺産。 |
国際関係 | 地域の不安定要素と見なされることが多く、外交的には孤立気味。 |
「エリトリア」って聞いて、すぐに場所や特徴が思い浮かぶ人は少ないかもしれません。でも、エリトリアはアフリカ東部、いわゆる「アフリカの角」にある戦いの歴史と強い独立精神を持つ国なんです。長年エチオピアと対立していた過去があり、今もアフリカでもっとも謎に包まれた国のひとつと言われることも。ここではそんなエリトリアを「歴史・社会・文化・地理」の観点から丁寧に解きほぐしてみましょう。
エリトリアの歴史は、征服と抵抗の連続と言ってもいいほど、外からの支配とそれに対する反発が大きなテーマです。
古代にはアクスム王国の一部として栄え、その後オスマン帝国やエジプトの支配を経て、19世紀末にはイタリアの植民地となりました。この時代にエリトリアの首都アスマラにはヨーロッパ風の街並みが形成され、今も「アフリカのローマ」なんて呼ばれることもあるんです。
第二次世界大戦後はイギリスの信託統治領になり、1952年にエチオピアとの連邦として統合されましたが、10年後には一方的に併合され、これが30年にわたる独立戦争の火種になります。1993年、国民投票を経てようやく完全独立。これは現代アフリカでも最も長く過酷だった独立闘争のひとつでした。
エリトリアの社会は、軍事国家的な統制が強い一方で、民族・宗教の共存が比較的うまく機能している不思議なバランスを持っています。市民生活の自由は限定的ですが、民族間の争いは少ないという点が注目されています。
政治体制は一党独裁で、独立以来人民戦線(PFDJ)が政権を握り続けています。大統領のイサイアス・アフェウェルキは独立運動の英雄として支持されてきましたが、近年は言論統制や徴兵制度の長期化などが問題視されています。実際に憲法は制定されているものの、施行されていない状態で、選挙も行われていません。そのため国際的には「世界で最も閉鎖的な国のひとつ」とも言われることがあります。
エリトリアの経済は、国有主導型で、国家が主要産業をほぼ管理しています。鉱業(特に金・銅・亜鉛)が経済の柱であり、近年は外国企業との共同開発も進められています。ただし民間企業の自由な活動は制限されていて、若者の失業や海外流出が深刻な課題です。農業や漁業も行われていますが、気候条件やインフラの整備不足で発展は限定的です。
エリトリアの宗教構成は、大きく分けてエリトリア正教(東方教会)とイスラム教スンニ派がほぼ半々の割合。これにカトリックやプロテスタントが少数派として続きます。宗教的な対立は少ないものの、政府は国家に登録された宗教以外の活動を厳しく制限しており、宗教の自由も限定的です。
エリトリアには9つの主要民族と言語が存在しますが、公用語は設定されておらず、ティグリニャ語、アラビア語、英語が行政や教育で広く使われています。教育ではティグリニャ語が中心ですが、アラビア語や英語の習得も重視されています。言語政策は多民族共存を前提にしていて、どの言語にも一定の尊重が払われているんです。
エリトリアの文化は、アフリカ・アラブ・ヨーロッパの要素が交差したユニークなスタイル。宗教行事や伝統衣装、音楽や料理まで、多様な文化的要素がミックスされていて、どこか懐かしさを感じさせる独特の雰囲気があります。
エリトリアでは宗教画や織物、陶芸など伝統工芸が今も大切にされています。特にエリトリア正教会の聖画像やイコンは鮮やかな色彩で描かれ、宗教行事や家庭の中でも重要な存在。首都アスマラには小さなギャラリーもあり、戦争や平和をテーマにした現代アートにも出会えます。
サイクリングが国民的スポーツというのが、他国とはちょっと違う特徴。アスマラでは週末ごとに自転車レースが行われるほどの人気ぶりで、アフリカの自転車強国としても知られています。また、陸上競技も盛んで、特に長距離走の選手が国際大会で活躍しています。
食文化はエチオピアと共通点が多く、インジェラとワット(煮込み料理)が基本。スパイスの使い方や食事のスタイルにも影響が見られます。ただし、エリトリアではイタリア植民地時代の影響でパスタやエスプレッソも食文化に溶け込んでいます。カフェ文化が発達していて、アスマラではおしゃれなカフェでエスプレッソを飲むのが日常風景なんです。
エリトリアの建築といえば、アスマラのモダニズム建築群が有名。1930年代のイタリア統治時代に建てられたアールデコ様式の建物が今も残っていて、世界遺産にも登録されています。カーブを描く映画館、宇宙船みたいなガソリンスタンドなど、街全体がレトロフューチャーの世界みたいになっていて、建築好きにはたまらない魅力があります。
エリトリアは紅海に面した戦略的な海洋国家でありつつ、内陸には高原地帯や火山地帯が広がる地形的に多様な国。気候や自然環境もバリエーションがあって、小さな国ながら表情豊かな風景を楽しめます。
エリトリアの地形は、大きく分けて中央高原地帯、沿岸の低地、西部の草原地帯の3つ。特に中央部は標高が高く、首都アスマラも2300メートルの高地にあります。一方で紅海沿岸には広大な乾燥地帯が広がり、ダナキル低地に近いエリアは非常に過酷な環境です。
高原部は比較的涼しく快適で、エリトリアの都市部の暮らしやすさの理由にもなっています。沿岸部は高温乾燥の砂漠気候で、夏は摂氏40度を超える日も。雨はあまり多くなく、水資源の確保が課題になっています。
自然環境は過酷ながらも美しく、紅海沿岸の珊瑚礁や、内陸の渓谷や断崖など、ダイナミックな風景が魅力です。ダロル火山に近い地域では、まるで別惑星のような風景が広がっていて、地質学的にも世界的に注目されています。また、紅海には小さな島々や漁村が点在し、エコツーリズムの可能性も秘めています。
エリトリアは、独立のために闘い抜いた強い意志と誇りを持つ国。その一方で、豊かな文化と静かな美しさが人々の暮らしに根づいています。知られざるこの国を知ることで、アフリカの新しい一面がきっと見えてくるはずです。