
20世紀の半ば、アフリカ大陸は大きく揺れ動きました。長らくヨーロッパ諸国の植民地とされていた各地で、次々と独立国家が誕生。特に1960年は「アフリカの年」と呼ばれ、1年間で17カ国が一斉に独立を果たしたんです。でも、なぜこのタイミングだったのか?そして、なぜあれほど支配が続いていたのに、そこから抜け出せたのか?
アフリカ独立の背景には、戦争、思想、国際情勢、そして内部からの運動など、いくつもの要素が複雑に絡み合っています。この記事では、そんな独立の大きな要因を5つに分けて見ていきましょう。
アフリカの独立を語るうえで避けて通れないのが、第二次世界大戦の影響です。戦争中、多くのアフリカ人が宗主国の軍隊に兵士として動員されました。最前線で命をかけて戦ったのに、終戦後も「二級市民」のように扱われる現実に、彼らは強い疑問と怒りを感じるようになります。
しかも、戦後のヨーロッパは自国の再建で精一杯。かつてのように海外植民地に人も金も回せなくなっていました。こうして植民地を維持する“体力”が落ちたことが、アフリカ側の独立運動を後押しすることになったんです。
20世紀初頭からじわじわと広がっていたパン=アフリカ主義(Pan-Africanism)は、「アフリカの人々はひとつだ」という連帯の考え方です。カリブ海やアメリカにいたアフリカ系知識人たちが中心となって広めた思想で、やがてアフリカ各地の知識層や活動家に影響を与えるようになります。
この流れの中で、クワメ・エンクルマ(ガーナ初代大統領)やセク・トゥーレ(ギニア初代大統領)といった独立運動のリーダーたちが登場。「自分たちで国を作ろう」という意識が、アフリカ全体にじわじわと広がっていきました。
第二次大戦後、国際連合(国連)が発足し、「民族自決の原則」という考え方が国際的に認められるようになりました。つまり、「どの民族にも自分たちで国を作る権利があるよね」という価値観が広まったわけです。
さらに、アメリカやソ連といった大国も、植民地支配に批判的な立場を取り始めていて、ヨーロッパ諸国も国際的な批判を気にしないわけにはいかなくなっていきます。国際社会の空気が変わったことで、独立を求める声が正当化されやすくなったんですね。
独立が実現した直接のきっかけは、やっぱり現地の人々の行動です。各地で労働争議、デモ、暴動、武装闘争などが本格的に起こるようになり、ヨーロッパの植民地当局も対応に追われるようになります。
たとえばアルジェリアでは激しい独立戦争が展開され、最終的に1962年にフランスからの独立を勝ち取ります。ガーナでは非暴力運動を通じて比較的平和的に独立が実現するなど、手段や道のりはバラバラでも、「自分たちの手で未来を切り開く」という共通の意思があったんです。
独立を認めたのは、ヨーロッパが急に“優しくなった”からではありません。むしろ、支配を続けることが割に合わなくなったからというのが実情です。
現地の反発は激しくなる一方で、経済的な見返りは減っていく。軍隊を派遣したり、行政を運営したりするコストばかりが膨らむようになった結果、「もう手を引いたほうがいい」と判断した国が増えていったんです。とくにイギリスやフランスは、比較的スムーズに手を引いた国も多く、逆にポルトガルは最後まで激しく抵抗しました。
アフリカの独立は、単なる“時代の流れ”じゃありません。世界大戦や思想の広がり、現地での実際の行動、そして植民地側の限界――いくつもの要素が重なって、ようやく勝ち取られた結果なんです。だからこそ、今のアフリカを語るうえで、この独立の意味と背景を知っておくことはとても大切なんですね。