
アフリカ大陸は、まるで“巨大な島”のように三方を海に囲まれています。でも、ただ海に囲まれているだけじゃなくて、それぞれの海がアフリカの歴史や文化、交易や植民地支配と深〜く関係しているんです。
この記事では、アフリカを囲む海の名前とその位置・特徴・歴史的エピソードをセットで覚えられるように、海ごとにわかりやすく整理してみました!
地中海の衛星画像
出典:Image by Eric Gaba (Sting) / Public domainより
アフリカの北には地中海が広がっています。対岸はイタリア、ギリシャ、スペインなどのヨーロッパ諸国。海峡の先にはあのジブラルタル海峡があり、そこを抜けるとすぐ大西洋に出ます。
この海は古代から文明と文明をつなぐ“交流の海”であり、エジプト、カルタゴ、ローマなどの国家がここを通じて貿易・戦争・文化交流を行ってきました。
特にローマ帝国時代には“ローマの湖”とまで呼ばれ、北アフリカはその一部として繁栄。現在でもチュニジアやモロッコなどは、地中海の恩恵を受けた温暖な気候と農業が発達しています。
紅海の衛星画像
出典:Image by SeaWiFS Project, NASA/Goddard Space Flight Center, and ORBIMAGE / Public domainより
アフリカ東北部、エジプト〜スーダン〜エリトリアにかけて接しているのが紅海。対岸にはサウジアラビアやイエメンがあり、アフリカとアラビア半島を隔てる細長い海です。
この海は古代から交易と巡礼のルートとして使われてきました。たとえばエチオピアやスーダンの人々は、紅海を通じてイスラムの聖地メッカへの巡礼(ハッジ)を行ってきました。
また、現代ではスエズ運河と紅海がつながってアジア〜ヨーロッパの大動脈となっており、国際的な海上輸送の重要ルートでもあります。
インド洋の位置を示した地図
出典:Image by Unknown author (CIA World Factbook 2002) / Public domainより
アフリカの東側、ケニアやタンザニア、モザンビークの沿岸に広がるのがインド洋。この海はアフリカだけでなくアラビア・インド・東南アジアを結ぶ大交易圏の一部でした。
特にモンスーン(季節風)を利用した貿易が盛んで、アラブ人・ペルシャ人・インド人がアフリカ東海岸に拠点を作り、金・象牙・香辛料などをやり取りしていたんです。この結果として生まれたのが、アフリカとイスラム・インド文化が混じった“スワヒリ文化”。
今でもスワヒリ語は広く使われていて、インド洋はアフリカの“文化的な海”でもあるんですね。
大西洋の位置を示した地図
出典:Image by Central Intelligence Agency (CIA) / Public domainより
アフリカの西側、セネガルやガーナ、ナイジェリアなどが面しているのが大西洋です。この海は、かつての大航海時代から近代にかけて、ヨーロッパ諸国のアフリカ進出と深く関わってきました。
最も暗い歴史は、大西洋奴隷貿易。アフリカ西岸から何百万人もの人々がアメリカ大陸へと強制移送され、ヨーロッパ〜アフリカ〜アメリカをつなぐ“三角貿易”が築かれました。
その後、ポルトガルやフランス、イギリスなどの植民地帝国が進出。今でも西アフリカの多くの国は、旧宗主国との言語・制度のつながりを色濃く残しています。
アフリカ大陸の最南端――南アフリカの喜望峰の周辺は、大西洋とインド洋が交わる世界でもっとも波が荒れる海域のひとつとされています。ここには寒流(ベンゲラ海流)と暖流(アグラス海流)がぶつかっていて、霧や嵐が多発。
この場所は昔から“海の難所”とされており、15世紀のポルトガル人探検家たちがアジア航路を開拓しようとするとき、どうしても通らなければならなかった場所でした。
ちなみに、南アフリカの沖にはクジラやアザラシ、シャチなども現れるため、現在では海洋生態系の研究や観光の拠点にもなっています。
アフリカを囲む海って、ただ「どの海に面してるか」っていうだけじゃなくて、そこから入ってきた文明、そこから運ばれた人々、そして広がった文化や歴史がぜんぶつながってるんです。地図を見るとき、「この海は何を運んできたのか?」って視点を持つと、アフリカのストーリーがぐっと深く見えてきますよ。