アフリカ映画の歴史が「映画の歴史そのものかも」という話

映画の歴史って、ハリウッドやヨーロッパから始まったように思われがちなんですけど――実はアフリカにも、すっごく早い時期から“映画の芽”があったってご存じですか?

 

しかも、アフリカ映画の歩みをたどっていくと、そこには植民地支配・抵抗運動・文化の再発見・表現の自由といった、映画というメディアが持つあらゆるテーマが詰まっているんです。

 

つまりこう言ってもいいかもしれません。 アフリカ映画の歴史って、ある意味「映画そのものの歴史」を凝縮したようなものなんです。
この記事では、その壮大な物語を、3つのキーワードから紐解いていきます。

 

 

1.「撮る側」と「撮られる側」――はじまりは“植民地映画”

アフリカで最初に映像が撮られたのは、20世紀初頭。でも、それはアフリカの人たちがカメラを回していたわけじゃなくて、ヨーロッパの植民地支配者たちが“アフリカを記録する”ために撮影していたものでした。

 

つまり「見る側=ヨーロッパ」「見られる側=アフリカ」という構図が最初からあったんですね。その映像はしばしばアフリカを“野蛮”や“未開”として描く偏ったもので、映画は支配の道具として使われていました。

 

ここからアフリカ映画は、「自分たちの目で自分たちの姿を撮る」という、“主導権の奪還”としての挑戦を始めていくんです。

 

2.声を取り戻す映画たち――独立とともに生まれた作家たち

1960年前後、アフリカの多くの国々が植民地から独立すると、ようやくアフリカ人自身による映画制作がスタートします。

 

この時期に登場した代表的な映画作家が、セネガルのウスマン・センベーヌ。彼は元々作家でしたが、「本を読めない人にも物語を伝えたい」という思いから映画に転向。1966年の作品『黒女』では、フランス人家庭で働く黒人メイドの孤独と絶望を描き、アフリカ人の目線で語る映画を世界に示しました。

 

以後、各地で民衆の声・伝統と近代の摩擦・女性の権利・政治の矛盾などをテーマにした力強い映画が次々に誕生し、映画が「社会の語り手」として育っていく時代が始まったんです。

 

 

3.デジタル革命とノリウッドの爆発――“大衆の映画”が花開く

90年代に入ると、デジタルビデオの普及で映画の敷居が一気に低くなります。ここで一気に花開いたのが、ナイジェリアのノリウッドと呼ばれる映画産業です。

 

ノリウッド映画は、とにかくスピーディーで安くて身近。数日で撮影し、街角やマーケットで販売され、テーマも日常のトラブルや恋愛、信仰、家族の問題など等身大の物語ばかり。
アート系映画とは違うけど、ものすごい熱量とリアリティが詰まってるんです。

 

そして今では、映画祭や国際プラットフォームを通して、アート映画とノリウッドの間にある“第3の波”も生まれています。アフリカの若手監督たちが、伝統とグローバルを行き来しながら新しい表現を追い求めているんですね。

 

アフリカ映画の歴史をたどると、そこには「誰が物語を語るのか?」「誰のための映像なのか?」という、映画という表現の根本がいつも問われてきたことがわかります。だからこそ、アフリカ映画の歴史は、まさに“映画そのものの歴史”を映し出しているとも言えるんです。