
古代文明ってどこにあった?植民地化の影響は?現代までの歩みはどうなってるの?などの疑問を持っている人は、ぜひ参考にしてみてください!
「アフリカの歴史」って聞くと、ピラミッドとか奴隷貿易とか、一部の出来事しかイメージできない人が多いかもしれません。でも実際は、びっくりするような話や、世界史の裏でひそかに影響を与えていた出来事もたくさんあるんです。ここでは、そんなアフリカの歴史の中から、ちょっとユニークで「へぇ〜」ってなる話を5つご紹介します。
14世紀の西アフリカ君主マンサ・ムーサの肖像(カタロニア地図より)
出典:Photo via Wikimedia Commons / Public domainより
14世紀、西アフリカのマリ帝国を治めていた「マンサ・ムーサ」という王様、実は世界史上で「最も裕福だった人物」と呼ばれることもあるんです。彼は1324年にメッカへの巡礼に向かう途中、ものすごい量の金をばらまいたことで有名。エジプトの経済が一時的にパニックになるほど金の価値が下がったという記録まで残ってるんです。「王様ってすごいな…」ってレベルじゃなくて、世界経済に影響与えるレベルってすごくないですか?
スーダン・メロエに残る古代ヌビアのピラミッド群(2001年撮影)
出典:Photo by B N Chagny / CC BY-SA 1.0より
実はエジプトより南、現在のスーダンにもピラミッドがあるの、知ってましたか?古代の「クシュ王国」が築いたもので、エジプト文明とも深く関わりがありました。特に面白いのが、「黒いファラオ」と呼ばれる時代。紀元前8世紀には、なんとスーダンの王たちがエジプトを征服して、第25王朝として統治した時期があったんです。ピラミッド=エジプトだけじゃないって知ると、アフリカ史の奥深さを実感しますよね。
トンブクトゥの航空写真(サンコーレ・モスクを含む)
出典:Photo by Mousssa NIAKATE / CC BY-SA 4.0より
西アフリカのマリ帝国の都市トンブクトゥには、かつて世界最古級の大学とも言われる「サンコーレ大学」がありました。ここでは数学、天文学、医学、イスラム法などが学ばれ、なんと15世紀には2万5千人もの学生がいたという説も。しかもこの時代、ヨーロッパはまだ中世のまっただなか。いわゆる“暗黒時代”と呼ばれる時期に、アフリカでは高度な学問が花開いていたっていうギャップ、めちゃくちゃ面白くないですか?
アフリカ出身のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの胸像(グリプトテーク所蔵)
出典:Photo by Bibi Saint-Pol / Public domainより
ローマ帝国って、白人だけが支配してたイメージが強いかもしれませんが、実は北アフリカ出身のローマ皇帝がいました。その名はセプティミウス・セウェルス。リビアとチュニジアの間あたり、現在のレプティス・マグナ出身で、193年にローマ皇帝に即位。軍事的才能と政治力でローマをまとめあげた人物です。世界帝国のトップに立ったアフリカ出身者、しかも2000年も前にいたって、ちょっと胸アツじゃないですか?
槍を持つ3人のマムルーク騎兵(16世紀初頭、ダニエル・ホッファー作)
出典:Public domain via Wikimedia Commonsより
アフリカといえば大西洋奴隷貿易の印象が強いですが、それ以前からアフリカ大陸内やアラブ世界との間でも奴隷制度は存在していました。
ヨーロッパが関わる前、奴隷は必ずしも“財産”や“搾取の対象”とは限らず、王室で高官になったり、軍人や学者として活躍するケースも多かったんです。たとえばオスマン帝国の“マムルーク兵”も、その多くがアフリカ出身の元奴隷でした。奴隷という言葉からイメージする「一方的な被害者像」だけでは語れない、複雑な背景があるんですね。
「アフリカの歴史」って、まだまだ知られていないエピソードがたくさんあります。ヨーロッパ中心の歴史観では見落とされがちだけど、実は世界史の中でも重要な役割を果たしていたんですね。こういう話から、もっとアフリカを深掘りしてみたくなりませんか?